ダーウィンの悪夢

 渋谷のシネ・ラ・セットで見てきました。
 内容は,タンザニアビクトリア湖岸の町を舞台に,グローバリゼーションの悪循環を描いたドキュメンタリー。半世紀ほど前,ビクトリア湖ナイルパーチという魚が放たれ,現在ではヨーロッパや日本に輸出されている。ナイルパーチを加工する工場は潤い,多少の雇用も生んだが,いっぽうで肉食性のナイルパーチによって湖の生態系は乱れ,環境は汚染される。湖沿岸の町には仕事を求め各地から多くの人々が集まるが,雇用にあふれる者も多い。ナイルパーチの肉は地元の人々の口には入らず,肉を切り落とした頭や尾などは劣悪な環境で調理され,貧しい人々の口に入っている。HIVの蔓延で多くの人間が死に,ストリートチルドレンが町に溢れる。眼前の恐怖から逃れるためストリートチルドレンはシンナーや薬物に手を出す。ナイルパーチを先進国へ空輸する飛行機は,積み荷が空の往路で武器を先進国から途上国へ運ぶ役割を果たしている。その武器は紛争で用いられ,新たな貧困を生む。抜け出したくても抜け出せない,この悪循環。
 といっても,この映画はグローバリゼーションにおける「南」の国々の貧困の構造を明らかにしているわけではない。ましてや半世紀前に放たれたナイルパーチがすべての元凶であるわけでもない(この映画の日本語版HPやパンフレットではさもそのような記述をしているが,誤解を生みやすい記述である)。この映画が描こうとしているのは,グローバリゼーションの悪循環に巻き込まれてしまっている人々の顔と言葉をドキュメンタリー映画というかたちにまとめることで,目に見えない現象である「グローバリゼーション」を,高度に抽象化させたかたちで示すことにあるのだろう。一言で言えば,「グローバリゼーションの悪夢」を描いた映画,と表現できるかもしれない。
 「自分がこの悪循環の一鎖を担ってしまっているのではないか」と悩みながらも生活のためにナイルパーチを空輸しつづけるロシア人パイロット。そのようなパイロットたちやこの地を訪れる白人を相手に売春し,客の暴力で亡くなってしまう黒人女性。毎月何十人もの村人がHIVで亡くなるのを目の当たりにしながらも「コンドームを勧めることはできない」と語る,湖畔の漁村のカトリック司祭。危険なナイルパーチ工場の夜警をしているが,「戦争が起こってほしい。戦争はチャンスだ」と充血した目で語る元兵士…。この映画では,「グローバリゼーションの悪夢」のなかに生きるさまざまな人々が登場する。私を含む先進国の人間も,同じグローバリゼーションのなかで生きているはずだが,彼/彼女らの声が聞こえてくることはまずない。
 いったい誰が彼/彼女らの「証言」(d:id:pton:20060820)に耳を傾けようとしているのか。しかし,いっぽうで,いったい誰が彼/彼女らの声に耳を傾けまいと望んでいるのか。いつになれば,彼/彼女らの証言は真に聞き届けられるのか。
「ダーウィンの悪夢」公式サイト


(2007.5.21記述)